誰かに守られているのか?
誰かに生かされてきた人生

先回の私のブログでこんな表現をしました

高校3年のバスケットボール全国高校総体で滋賀県の大津でのインターハイの出来事です

1回戦でチームのエース的存在のセンタープレイヤーが運悪くファウルが重なり
早い時間から私の出番が回ってきました

競った場面で彼に代わって私が出場する
そんなゲームはこの時が最初で最後だったと思います

その日の私は、どこからでもシュートが入りそうな根拠のない自信がありました
ほぼノーマークにもかかわらず、レイアップシュートに行けばいいのに
かなり外側からジャンプシュートを打ちました

その瞬間、自分でも失敗したとわかるくらいリングを外れてしまい、声をあげ
チームの仲間もフォローに慌て走り込む…

でも、リングの上でボールが何回か弾んで入った、今度は歓喜の声!

それが決定的というわけではなかったけれど、私のラッキーボーイ的な働きで
なんとかその試合は勝利することが出来ました

試合後にチームの仲間の一人が、
エースがファウルアウトした時に負けたと思っていたと言ってました

後から思ったのですが、試合の日は「父の命日」
当日は、全く意識もしていませんでしたけど…
どこかで私を守っていてくれたのかな、そんな気持ちになったものです

私が小学生の頃に父は亡くなりました
陸上大会で走るのをとても楽しみにしていました
その大会の日が命日でした

単なる思い込みかもしれません
不思議に思えるラッキーは、生きていればあるものですね
人ぞれぞれに